HOME>歴史・芸能・文化>南千住の歴史と有名な史跡

千住という地名は足立区のものだった

南千住は元々足立区の地名で、荒川区は小塚原という地名が付いていました。江戸時代には日光街道の宿場町となる千住宿が現・足立区側に置かれ、1660年には荒川区にかつてあった小塚原町と中村町が組み込まれます。それからは南宿という名称で呼ばれ、流通の町として発展しました。明治に入ると、千住南宿などの通称で呼ばれていた小塚原町と中村町が合併し、千住南組いう地名が付きました。現・足立区に位置する千住本宿は千住北組という地名になったため、現代では千住北組が北千住、千住南組が南千住という名称になったのです。この頃、隅田川に始めて橋が架けられました。現在、千住大橋と呼ばれている橋です。松尾芭蕉が奥州の旅に出る際の出発地だったとされています。素盞雄神社には松尾芭蕉の碑が設置されており、奥の細道に記された句を読むことができます。この神社は、61ヵ所もの地点に氏子を持つのが特徴です。3年に1度行われる大祭では、2日かけて神輿を左右に振りながら氏子域を渡御する圧巻の様子が見られます。また、南千住で良く知られている史跡に小塚原刑場が挙げられます。江戸三大刑場の一つで、江戸時代から明治初期までの間に20万人以上の人が処刑されました。ここは刀剣のお試し場でもあり、腑分けも行う刑場でした。19世紀に入ってからは北の一大火葬埋葬センターとなりましたが、明治初期に人権基準が見直され、廃止となります。現在は延命寺が造られ、首切り地蔵と共に住職が霊を鎮めています。

新着記事リスト